三角寺道は松山自動車道の高架下を潜って左折し、ほどなく真念標石から桃山新墓園を通り、柱尾橋を渡った後、高台の農道を進みます。中務茂兵衛標石の下で市道に合流して右へ進み、元治元年建立の標石から水路に沿って下り、中務茂兵衛標石から市道に入り右へ、ほどなく戸川公園に至ります。

戸川公園を過ぎてきた橋を渡り、一旦、市道から左へ逸れて坂を上り、再び市道に合流します。


ピックアップ情報

戸川公園

昭和29年、銅山川疎水事業の完成を記念して整備された公園で、疎水事業に尽力された人たちの偉業を称えた頌徳碑や銅像、また、四国遍路の巡礼者を供養した一石一字塔や供養塔、標石などが建てられています。

春には戸川公園が整備された当時に植えられた桜が人々の心を魅了した後を引き継ぐようにツツジが鮮やかな彩りで癒しを与えています。

戸川公園として整備される遥か昔からこの戸川の地は、お遍路さんが三角寺へ上る前にひと休みした場所であり、現在も多くのお遍路さんが休憩に立ち寄る癒しの公園です。


昭和迂回ルート

昔、戸川公園の前の道は川でした。戸川公園側に土手道があり、この道を通って三角寺へ向かっていました。しかし、この道を通れない時期がありました。銅山川疎水事業に関わる大掛かりな工事が行われていた期間です。その際に戸川公園の前を流れていた川は埋め立てられて道に変りました。この大掛かりな工事が行われていた数年間、お遍路さんが歩いていた迂回ルートがありました。それは戸川公園の裏山(墓地)を越えるルートです。

中務茂兵衛の標石まで下りて来て、市道を横切り、民家の間の細い道を通ります。橋を渡って右へ進み、戸川公園の手前を左へ進みます。墓地の坂道へ入り、急な坂を上ります。やがて林道の雰囲気を感じられる急な坂に変り、山の頂上に至ります。下り坂に変り、水田を通過した後、遍路道に合流します。