現在、ほとんどのお遍路さんが平山地区と椿堂を結ぶ市道(椿堂平山線)を歩いていますが、この道が整備されたのは近代以降のことで、昔はありませんでした。ましてや明治初期の地図によれば、椿堂まで通じる道すらありません。おそらく明治以降から明治三十年頃までの間に椿堂まで通じたようです。

領家地区に入り、乙渕橋を渡った後、市道から右に逸れて古下田集会場の方へすこし上ります。古下田集会所の手前の三叉路を左へ進み、その流れ細い農道に入ります。左にカーブしながら進むと明治時代に建立された標石が建っています。標石を通過して坂を上りながら右へ曲がり整備された農道に入ります。ここで遍路道は昔の雲辺寺ルート(領家道)と分かれます。この分岐点に古い標石が建っています。

分岐点から整備された農道を通り椿堂へ向かいます。高台を通る農道は景色が開けて爽快感を味わえる道です。原中地区で市道に合流し原中集会所の方へ下ります。原中集会所からさらに市道を下り、左へ大きくカーブする場所で市道から細い遍路道に入ります。急な下り坂が始まり、右へカーブしながら下ります。